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調整日前夜祭今夜だけはカレーを許して
カレンダーに記された、明日の「矯正歯科」の文字。その文字を見た瞬間、私の心の中で、一年以上も固く封印してきた欲望のパンドラの箱が、ゆっくりと開き始めます。そう、今夜は待ちに待った「調整日前夜祭」。長い矯正生活の中で、唯一、あの禁断の食べ物、カレーライスを自分に許すことができる、特別な夜なのです。矯正を始めた日、歯科衛生士さんから優しくも厳しい口調で言い渡された「カレー禁止令」。その日から、私の生活からカレーは姿を消しました。街で漂うスパイスの香りを吸い込んでは溜息をつき、テレビの食レポでカレーが映ればチャンネルを変える。涙ぐましい努力を続けてきました。しかし、今夜だけは違う。明日になれば、この蛍光イエローに染まるであろう運命のゴムたちは、全て新品に交換されるのです。いわば、シンデレラの魔法が解ける前の、束の間の舞踏会。私はまるで儀式のように、丁寧にレトルトカレーの封を切り、炊き立てのご飯の上へと流し込みます。立ち上る湯気とスパイスの香り。ああ、一年ぶりのこの香り。一口、また一口と、スプーンを口に運ぶたびに、全身の細胞が喜びに打ち震えるのが分かります。複雑に絡み合ったスパイスの刺激と、じっくり煮込まれたであろう具材の旨味。矯正中の食事では決して味わうことのできない、この多幸感。食べ進めるうちに、口の中のゴムが黄色く染まっていくことなど、もはやどうでもよくなっています。むしろ、この黄色は、苦行を乗り越えた者だけが手にできる、勝利の勲章のようにさえ思えてくるのです。もちろん、この前夜祭は、歯科医が公式に推奨する方法ではありません。あくまで、矯正という長いトンネルの中で、モチベーションを維持するための、ささやかな、そして自己責任のイベントです。でも、このご褒美があるからこそ、また次の調整日まで頑張れる。カレーを完食し、満足感に包まれながら、私は明日からの新たな一ヶ月に思いを馳せるのでした。